有島武郎 親子
今夜は何事も言わないほうがいい、そうしまいに彼は思い定めた。自分では気づかないでいるにしても、実際はかなり疲れているに違いない父の肉体のことも考えた。
「もうお休みになりませんか。矢部氏も明日は早くここに着くことになっていますし」
それが父には暢気な言いごとと聞こえるのも彼は承知していないではなかった。父ははたして内訌している不平に油をそそぎかけられたように思ったらしい。
「寝たければお前寝るがいい」
とすぐ答えたが、それでもすぐ言葉を続けて、
「そう、それでは俺しも寝るとしようか」
と投げるように言って、すぐ厠に立って行った。足は痺れを切らしたらしく、少しよろよろとなって歩いて行く父の後姿を見ると、彼はふっと深い淋しさを覚えた。
父はいつまでも寝つかないらしかった。いつもならば頭を枕につけるが早いかすぐ鼾になる人が、いつまでも静かにしていて、しげしげと厠に立った。その晩は彼にも寝つかれない晩だった。そして父が眠るまでは自分も眠るまいと心に定めていた。