田村昇士のブログ

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有島武郎 親子

 一行はまた歩きだした。それからは坂道はいくらもなくって、すぐに広々とした台地に出た。そこからずっとマッカリヌプリという山のふもとにかけて農場は拡がっているのだ。なだらかに高低のある畑地の向こうにマッカリヌプリの規則正しい山の姿が寒々と一つそびえて、その頂きに近い西の面だけが、かすかに日の光を照りかえして赤ずんでいた。いつの間にか雲一ひらもなく澄みわたった空の高みに、細々とした新月が、置き忘れられた光のようにえていた。一同は言葉少なになって急ぎ足に歩いた。基線道路と名づけられた場内の公道だったけれども畦道あぜみちをやや広くしたくらいのもので、畑からほうり出された石ころの間なぞに、酸漿ほうずきの実が赤くなってぶら下がったり、わだちにかけられたふきの葉がどす黒く破れて泥にまみれたりしていた。彼は野生になったティモシーの茎を抜き取って、その根もとのやわらかい甘味をみしめなどしながら父のあとに続いた。そして彼の後ろから来る小作人たちのささやきのような会話に耳を傾けた。
「夏作があんなだに、秋作がこれじゃ困ったもんだ」
「不作つづきだからやりきれないよ全く」
「そうだ」
 ぼそぼそとしたひとりごとのような声だったけれども、それは明らかに彼の注意を引くように目論もくろま れているのだと彼は知った。それらの言葉は父に向けてはうっかり言えない言葉に違いない。しかし彼ならばそれを耳にはさんで黙っているだろうし、そしてそ れが結局小作人らにとって不為めにはならないのを小作人たちは知りぬいているらしかった。彼には父の態度と同様、小作人たちのこうした態度も快くなかっ た。東京をつ時からなんとなくいらいらしていた心の底が、いよいよはっきりらつくのを彼は感じた。そして彼はすべてのことを思うままにぶちまけることのできない自分をその時も歯痒はがゆく思った。