田村昇士のブログ

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伊藤野枝 転機

 土手の蔭は、教えられたとおりに河になっていて舟橋が架けられてあった。橋の手前に壊れかかったというよりは拾い集めた板切れで建てたような小屋がある。腐りかけたような蜜柑や、みじめな駄菓子などを並べたその店先きで、私はまた尋ねた。
 小屋の中には、七十にあまるかと思われるような、目も、鼻も、口も、その夥だしい皺の中に畳み込まれてしまったような、ひからびた老婆と、四十位の小造 りな、貧しい姿をした女と二人いた。私はかねがね谷中の居残った人達が、だんだんに生計に苦しめられて、手当り次第な仕事につかまって暮らしているという ようなことも聞いていたので、この二人がひょっとしてそうなのではあるまいかという想像と一緒に、何となくその襤褸にくるまって、煮しめたような手拭いに 頭を包んだ二人の姿を哀れに見ながら、それならば、多分尋ねる道筋は、親切に教えて貰えるものだと期待した。しかし、谷中村と聞くと、二人は顔見合わせた が、思いがけない嘲りを含んだ態度を見せて、私の問に答えた。
「谷中村かね、はあ、あるにはあるけれど、沼の中だでね、道も何にもねえし――いる人も、いくらもねいだよ――」
 あんな沼の中にとても行けるものかというように、てんから道など教えそうにもない。それでも最後に橋番に聞けという。舟橋を渡るとすぐ番小屋がある。三四人の男が呑気な顔をして往来する人の橋銭をとっている。私は橋銭を払ってからまた聞いた。