田村昇士のブログ

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芥川龍之介 案頭の書

二 魂胆色遊懐男


魂胆色遊懐男こんたんいろあそびふところをとこ」はかの「豆男江戸見物まめをとこえどけんぶつ」のプロトタイプなり。予の家に蔵するは巻一、巻四の二冊なれども、大豆右衛門まめゑもんの冒険にはラブレエを想はしむるものなきにあらず。
 大豆右衛門は洛東らくとう山科やましなの人なり。その母「塩の長次ちやうじにはあらねど、夢中に馬を呑むと見て、懐胎したる子なるゆへ」大豆右衛門と称せしと云へば、この名のつて来る所はかならずしも多言するを要せざるべし。大豆右衛門、二十三歳の時、「さねかづら取りて京の歴々の女中方へ売べしと逢坂山あふさかやまにわけ登り」しが、たまたま玉貌ぎよくばう仙女せんぢよと逢ひ、一粒いちりふ金丹きんたんを服するを得たり。「ありがたくおし頂きてのむに、忽ち其身雪霜の消ゆる如くみぢみぢとなつて、芥子人形けしにんぎやうの如くになれり。」こは人倫まじはりを不可能ならしむるに似たれども、仙女の説明する所によれば、「色里いろざとにても又は町家の歴々の奥がたにても、心のままにあはれるなり。(中略)なんぢがあふて見度みたしと思ふ女のねんごろにする男のふところの中に入れば、その男の魂ぬけいで、汝かりに其男に入れかはりて、相手の女を自由にする事、又なき楽しみにあらずや」と云へば、すこぶる便利なる転身てんしんと云ふべし。爾来じらい大豆右衛門、色を天下にぎよすと雖も、迷宮めいきゆうに似たる人生は容易に幸福を与ふるものにあらず。たとへば巻一の「あねの異見耳痛樫木枕みみいたいかたぎまくら」を見よ。
「台所より飛びあがり、奥の方を心がけ、ふすまのすこしきたるあひよりそつとりて大座敷へいで、(中略)唐更紗たうざらさ暖簾のれんあげて、長四畳ながよでふを過ぎ、一だんたかき小座敷あつて、有明ありあけの火明らかに、これ此家このや旦那だんな殿の寝所しんじよならめと腰障子をすこしつきやぶりて、是より入つて見れば夫婦枕をならべて、前後も知らず連れぶしいびきに、(中略)まづ内儀ないぎの顔をさしのぞいて見れば、その美しさこの器量で三十ばかりに見ゆれば、卅五六でもあるべし。(中略)男は三十一二に見えて、成程なるほど強さうな生れつき。さては此女房の美しいに思ひつきて、我より二つ四つも年のいたをもたれしか、ただし入りむこか、(中略)と亭主ていしゆふところにはいればそのままたましひ入れ替り、(中略)さあ夢さましてもてなしやと云へば、此女房目をさまし、きものつぶれた顔して、あたりへ我をつきのけ、起きかへつて、コレ気ちがひ、ここを内ぢやと思ひやるか、けぬ先ににや/\と云ふに、面白うもない歌留多かるたをうつてゐてかし、今からはなれまい、旦那殿だんなどの大津祭おほつまつりかれて留守るすぢやほどに、泊つてなりと行きやと、兄弟のかたじけなさはなんの遠慮もなく一所に寝るを、あねをとらまへ軽忽きやうこつな、こりや畜生の行儀ぎやうぎか。こちや畜生になる事はいやぢやいの。(中略)多聞たぶん悪いと畳を叩いて腹を立てる。さて南無なむさん姉ぢやさうな。是は粗相千万そさうせんばん、(中略)と後先あとさき揃はぬ事を云ふて、又もと夜着よぎへこそこそはいつて、寝るより早く其処そこを立ち退き、(下略げりやく)」(この項未完)

(大正十三年六月)