田村昇士のブログ

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芥川龍之介 案頭の書

 更に又「孝子黄金こがねの釜を掘り出し娘の事」を見よ。
三八さんぱちといへる百姓は一人ひとりの母につかへて、至孝ならぶものなかりける。或年あるとし霜月しもつき下旬の頃、母たけのこしよくたきよしのぞみける。もとより貧しき身なれども、母の好みにまかせ、朝夕あさゆふの食事をととのへすすむといへ共このたけのこはこまりはてけるが、(中略)蓑笠みのかさひきかづき、二三丁ほどあるところの、藪を心当こころあてゆきける。積る朽葉くちばにつもる雪、かきのけ/\さがせども、(中略)ああ天我をほろぼすかとなみだと雪にそでをぬらし、是非ぜひなく/\も帰る道筋、なはからげの小桶こをけひとつ、何ならんと取上げ見れば、孝子三八にたまはると書付はなけれ共、まづふたをひらけば、内よりによつと塩竹の子、かねもらうたよりうれしく、(中略)女房にかくとしらすれば、同じ心のしうとめ思ひ、手ばやに塩だしかつをかき、即時にあつものとなしてあたへける。其味なまなるにかはる事なく、母もよろこび大方おほかたならず、いかなる人のここに落せしや、是又ひとつのふしぎ也。
「しかるにかほど孝心厚き者なれ共、※(「てへん+峠のつくり」、第3水準1-84-76)かせげばかせぐほど貧しく成り、次第/\に家をとろへ、今は朝夕あさゆふのけぶりさへたえ/″\に成りければ、三八さんぱち女房に云ふやう、(中略)ふたりが中にまうけし娘ことし十五まで育てぬれ共、(中略)かれを都のかたへつれ行き、勤奉公つとめぼうこうとやらんをさせ、給銀きふぎんにて※(「てへん+峠のつくり」、第3水準1-84-76)ひとかせぎして見んと思ふはいかにと尋ぬるにぞ、わらはもくよりさやうには思ひさふらへ共、(中略)と答へける。(中略)三八は身ごしらへして、娘うちつれ出でにける。名にしおふ難波なには大湊おほみなとまづ此所ここへと心ざし、少しのしるべをたずね、それより茶屋奉公にいだしける。(中略)さて此娘、(中略)つとめにいづる其日より、富豪の大臣かかり、早速さそくに身うけして、三八夫婦母おやも大阪へ引きとり、有りしにかはるくらしと成り、三八夏は蚊帳かやの代りにせし身を腰元こしもと共にとこあふがせ、女房は又しうとめにあたへし乳房ちぶさ虎屋とらや羊羹やうかんにしかへ、氷からこひも古めかしと、水晶の水舟みづぶねに朝鮮金魚を泳がせて楽しみ、これ至孝のいたす所なり。」