田村昇士のブログ

田村昇士のブログです

桜の季節ももう終わり

桜の季節ももう終わり。

次はゴールデンウィークが待っています。

海へ山へのレジャーはもちろん

ツーリング、サーフィン、釣り、温泉など

楽しみ方は人それぞれです。

ところで消費税が増税されてから

電車賃や郵便の料金が中途半端に

なってしまいましたね。

1円単位でやりくりする不景気時代の

到来でしょうか。

自動販売機のジュースだけは値上げ

されていないのが不思議です。

むしろ通常120円のものが100円で

売っていたりとお得感がありますよね。

缶ジュースや缶コーヒーの愛好家に

とって増税が影響されないのは

うれしいことではないでしょうか。

100円ショップなどでは108円の

お会計になって一円玉を使う機会が

増えましたが、三円玉というのを

作るのもありかもしれませんね。

芥川龍之介 魚河岸

 去年の春の、――と云ってもまだ風の寒い、月のえたよるの九時ごろ、保吉やすきちは三人の友だちと、魚河岸うおがしの往来を歩いていた。三人の友だちとは、俳人露柴ろさい、洋画家の風中ふうちゅう蒔画師まきえし如丹じょたん、――三人とも本名ほんみょうあかさないが、その道では知られたうできである。殊に露柴ろさいは年かさでもあり、新傾向の俳人としては、つとに名をせた男だった。
 我々は皆酔っていた。もっとも風中と保吉とは下戸げこ、如丹は名代なだい酒豪しゅごうだったから、三人はふだんと変らなかった。ただ露柴はどうかすると、足もとも少々あぶなかった。我々は露柴を中にしながら、なまぐさい月明りの吹かれる通りを、日本橋にほんばしの方へ歩いて行った。
 露柴はすい江戸えどだった。曾祖父そうそふ蜀山しょくさん文晁ぶんちょうと交遊の厚かった人である。家も河岸かし丸清まるせいと云えば、あの界隈かいわいでは知らぬものはない。それを露柴はずっと前から、家業はほとんど人任せにしたなり、自分は山谷さんや露路ろじの奥に、句と書と篆刻てんこくとを楽しんでいた。だから露柴には我々にない、どこかいなせな風格があった。下町気質したまちかたぎよりは伝法でんぼうな、山の手には勿論縁の遠い、――云わば河岸のまぐろすしと、一味相通ずる何物かがあった。………

芥川龍之介 ひょっとこ

 吾妻橋あずまばし欄干らんかんによって、人が大ぜい立っている。時々巡査が来て小言こごとを云うが、すぐまた元のように人山ひとやまが出来てしまう。皆、この橋の下を通る花見の船を見に、立っているのである。
 船は川下から、一二そうずつ、引き潮の川を上って来る。大抵は伝馬てんま帆木綿ほもめんの天井を張って、そのまわりに紅白のだんだらの幕をさげている。そして、みよしには、旗を立てたり古風なのぼりを立てたりしている。中にいる人間は、皆酔っているらしい。幕の間から、お揃いの手拭を、吉原よしわらかぶりにしたり、米屋かぶりにしたりした人たちが「一本、二本」とけんをうっているのが見える。首をふりながら、苦しそうに何か唄っているのが見える。それが橋の上にいる人間から見ると、滑稽こっけいとしか思われない。お囃子はやしをのせたり楽隊をのせたりした船が、橋の下を通ると、橋の上では「わあっ」と云うわらい声が起る。中には「莫迦ばか」と云う声も聞える。
 橋の上から見ると、川は亜鉛とたんいたのように、白く日を反射して、時々、通りすぎる川蒸汽がその上に眩しい横波の鍍金めっきをかけている。そうして、そのなめらかな水面を、陽気な太鼓の音、笛の、三味線の音がしらみのようにむずかゆく刺している。札幌ビールの煉瓦壁れんがかべのつきる所から、土手の上をずっと向うまで、すすけた、うす白いものが、重そうにつづいているのは、丁度、今が盛りの桜である。言問こととい桟橋さんばしには、和船やボートが沢山ついているらしい。それがここから見ると、丁度大学の艇庫ていこに日を遮られて、ただごみごみした黒い一色になって動いている。

有島武郎 親子

 二時を過ぎて三時に近いと思われるころ、父の寝床のほうからかすかな鼾が漏れ始めた。彼はそれを聞きすましてそっと厠に立った。縁板があしうらに吸いつくかと思われるように寒い晩になっていた。高い腰の上は透明なガラス張りになっている雨戸から空をすかして見ると、ちょっと指先に触れただけでガラス板が音をたててこわれ落ちそうにえ切っていた。
 将来の仕事も生活もどうなってゆくかわからないような彼は、この冴えに冴えた秋の夜の底にひたりながら、言いようのない孤独に攻めつけられてしまった。
 物音に驚いて眼をさました時には、父はもう隣の部屋で茶をすすっているらしかった。その朝も晴れ切った朝だった。彼が起き上がって縁に出ると、それをうかがっていたように内儀おかみさんが出て来て、忙しくぐるりの雨戸を開け放った。新鮮な朝の空気と共に、田園に特有な生き生きとした匂いが部屋じゅうにみなぎった。父は捨てどころにこうじて口の中にふくんでいた梅干の種を勢いよくグーズベリーの繁みに放りなげた。
 監督は矢部の出迎えに出かけて留守だったが、父の膝許ひざもとには、もうたくさんの帳簿や書類が雑然と開きならべられてあった。
 待つほどもなく矢部という人が事務所に着いた。彼ははじめてその人を見たのだった。想像していたのとはまるで違って、四十恰好かっこうの肥った眇眼すがめの男だった。はきはきと物慣れてはいるが、浮薄でもなく、わかるところは気持ちよくわかるたちらしかった。彼と差し向かいだった時とは反対に、父はその人に対してことのほか快活だった。部屋の中の空気が昨夜とはすっかり変わってしまった。

有島武郎 親子

 今夜は何事も言わないほうがいい、そうしまいに彼は思い定めた。自分では気づかないでいるにしても、実際はかなり疲れているに違いない父の肉体のことも考えた。
「もうお休みになりませんか。矢部氏も明日は早くここに着くことになっていますし」
 それが父には暢気のんきな言いごとと聞こえるのも彼は承知していないではなかった。父ははたして内訌ないこうしている不平に油をそそぎかけられたように思ったらしい。
「寝たければお前寝るがいい」
 とすぐ答えたが、それでもすぐ言葉を続けて、
「そう、それではしも寝るとしようか」
 と投げるように言って、すぐかわやに立って行った。足はしびれを切らしたらしく、少しよろよろとなって歩いて行く父の後姿を見ると、彼はふっと深い淋しさを覚えた。
 父はいつまでも寝つかないらしかった。いつもならば頭を枕につけるが早いかすぐいびきになる人が、いつまでも静かにしていて、しげしげと厠に立った。その晩は彼にも寝つかれない晩だった。そして父が眠るまでは自分も眠るまいと心に定めていた。

有島武郎 親子

 父は黙って考えごとでもしているのか、敷島を続けざまにふかして、膝の上に落とした灰にも気づかないでいた。彼はしょうことなしに監督の持って来た東京 新聞の地方版をいじくりまわしていた。北海道の記事を除いたすべては一つ残らず青森までの汽車の中で読み飽いたものばかりだった。
「お前は今日の早田の説明で農場のことはたいてい呑みこめたか」
 ややしばらくしてから父は取ってつけたようにぽっつりとこれだけ言って、はじめてまともに彼を見た。父がくどくどと早田にいろいろな報告をさせたわけが彼にはわかったように思えた。
「たいていわかりました」
 その答えを聞くと父は疑わしそうにちらっともう一度彼を鋭く見やった。
「ずいぶんめんどうなものだろう、これだけの仕事にでも眼鼻をつけるということは」
「そうですねえ」
 彼はしかたなくこう答えた。父はすぐ彼の答えの響きの悪さに感づいたようだった。そしてまたもや忌わしい沈黙が来た。彼には父の気持ちが十分にわかっていたのだ。三十にもなろうとする息子をつかまえて、自分がこれまでに払ってきた苦労を事新しく言って聞かせるのも大人気おとなげな いが、そうかといって、農場に対する息子の熱意が憐れなほど燃えていないばかりでなく、自分に対する感恩の気持ちも格別動いているらしくも見えないその 苦々しさで、父は老年にともすると付きまつわるはかなさと不満とに悩んでいるのだ。そして何事もずばずばとは言い切らないで、じっとひとりで胸の中にたたえているような性情せいじょうにある憐れみさえを感じているのだ。彼はそうした気持ちが父から直接に彼の心の中に流れこむのを覚えた。彼ももどかしく不愉快だった。しかし父と彼との間隔があまりに隔たりすぎてしまったのを思うと、むやみなことは言いたくなかった。それは結局二人の間を彌縫びほうが できないほど離してしまうだけのものだったから。そしてこの老年の父をそれほどの目に遇わせても平気でいられるだけの自信がまだ彼のほうにもできてはいな かった。だから本当をいうと、彼は誰に不愉快を感じるよりも、彼自身にそれを感じねばならなかったのだ。そしてそれがますます彼を引込み思案の、何事にも 興味を感ぜぬらしく見える男にしてしまったのだ。